春の日の記憶

「ときめく心も、君へのドキドキも、全部準備できました。」

【EXO】彼らと迎える春を

 

 

EXOというアイドルは、私にとって少し稀なジャンル、稀な立ち位置にいるアイドルだった。

 

 


EXO - 'CALL ME BABY' Replay! M COUNTDOWN 150702 Ep.431

 

 

 

EXOにハマったのが去年の夏ごろ。tempoに、チェンの声に出会ってしまった夏のことを、忘れてしまわないうちに書いておこうと思う。たぶん起承転結もない思ったことをつらつら書いてるオタクの妄言なので文章に繋がりはないと思うのであしからず…

 

 

 

 

 

受験生のくせにエクソにハマった。それはそれはもう、抜け出すことのできない沼だった。底なし。当たり前だけど、毎日ずーっと勉強勉強という地獄で、ストレスも溜まるだったわけだけどエクソが私の人生に現れてくれたおかげで、なんとなく、辛さが緩和されていた。ような気がする。

 

エクソの魅せる世界は、独特で、孤高で、触れがたい、そんな存在。口を思わずぽかんと開けてしまう世界。だけど本人たちはとっても純粋で、音楽が大好きなお茶目な人たち。ああ、こういうのをギャップ萌えというのね…とひしひしと感じていた塾帰りの夜9時。あの夏、私のプレイリストの一番上にはいつも『Tempo/EXO』の文字があった。

 

 


EXO 엑소 'Tempo' MV

 

 

 

 

◎チェンの声と感傷的だった時間

 

近所の公民館みたいなところで、よく夜遅くまで勉強していた。家だとどうしても勉強出来なかったから。夜の10時までやっている自習室で勉強して、歩いて帰ろうと耳にイヤホンを差す。まだエクソの曲を聴き始めたころだったと思う。

 

受験生のころ、なぜか無駄に感傷的だった。

元々ネガティブだからだともと思うけど、真っ暗な帰り道を歩きながら、チェンの1stソロアルバムを聴きながら泣いた。なんで泣いてるのか分からなかったけど、今思うとたぶんつらかったんだと思う。弱音が吐けない環境ほどつらいものないよなあ、今思う。胸にじんわりと染みたメロディーが、焦る気持ちを和らげてくれた。

 

田舎だから、いつも空がすっきり見えたけど、そうやって感傷的な日は、だいたい月がとってもきれいな夜だったと思う。チェンの声がよく響き渡るような空。

 

先を見ることしかできない状況で、チェンの声はあまりにも優しすぎた。転ぶのが分かっているのに、走りだそうとする人の背中に、「ちょっと待って」と言ってくれるような、そんな優しい声。チェンの1stソロアルバムは受験期の私の子守歌でもあった。本当よく眠れた。受験の前日も聞いて寝た。

 

でもこれは、チェンに限った話ではなくて。

EXOが、焦る私をいつも引き留めてくれていたように思う。

とても純粋に音楽を愛する彼らの届けてくれる歌が、ストレス満載でやけにツンツンとしていた心を、あの長い期間を、柔らかく、暖かく彩ってくれた。

 

 

 


CHEN 첸 '사월이 지나면 우리 헤어져요 (Beautiful goodbye)' MV

 

 

 

◎彼らと迎える春を

 

冬、という例えがあっているのかは分からない。でも今EXOにとっては、嫌でも離れ離れにならないといけない期間だ。誰かのいないステージを迎えて、誰かを送り出し、自分が送り出されるのを想像するんだろう。そしていつか、マンネが送り出される時が来る。

どれだけ、つらいだろう。こんな他国のいちぺーぺーのファンが想像して書く戯言なんか、かすりもしないくらいもっともっと、心の苦しいものだと思う。不安だと思う。この8年、誰よりもそばにいた人たちと離れるんだもん。

誰だって、自分の居場所を離れるのはつらいし、彼らにとってはその居場所が芸能界で生きていくすべてみたいなものだと思う。私たちだって失いたくないけど、彼らだって失いたくないはずだ、たぶん。

 

 

誰かと幸せになる決意をしたチェンを、裏切られたと思ったり、嬉しいけど悲しいと思ってしまったり、色んな人がいると思う。それでいいんだ、そういうものだと思うし。

空飛ぶ広報室』というドラマを最近見直したのだけど、その中にこんなセリフがあった。柴田恭兵演じる鷺坂室長のセリフ。

 

正義ってのはさ、人の数だけある。

立っている場所によって黒にも白にも見えたりする。 

 

この場合の正義が、誰が正しいとか正しくないとかいう話ではなく、人の数だけ色んな感情があっていいということだ。だから頭ごなしに否定したり、自分をむりに肯定する必要もない。その時黒に見えても白に見えても、数日経ったら真逆に見えたりすることもあるかもしれないよね。

 

ひとつだけ変わらない正義があるとしたら、みんながチェンの歌を、チェンを好きだ、好きだったという事実だ。

 

その感情を否定しないでほしい、なかったことにしないでほしい。そう思うのはやっぱり、きれいごとなんだろうか。ぺーぺーの新規だから、こんなふうに考えられるんだろうか。答えがない問いかけだなあ、と思う。たぶん一生答えは出ない。

 

 

 

彼らが、正真正銘全員で、9人で、ステージに立てる時、私は何歳だろうか。その時、まだエクソのことが好きだろうか。KPOPをまだ聞いてるだろうか。

その時が来ても、どうかエクソのことが好きでいてほしいと思う。彼らが作る、今にも消えてしまいそうな儚さと、培ってきた力強さをいつまでも見ていたいと思う。誰もが脱帽してしまうそのかっこいい姿を。たとえ年をとっても、どんな人生を歩んだとしても好きでいたいと、そう思うグループ。私にとってエクソとは、そういう存在なんだと思う。

 

間違いなく支えられたから。その声に、言葉に、思いに、たくさん支えられたから。永遠でありたいと願う彼らの、永遠であるための手伝いがしたいと思う。

君がいればどこだって天国だよ、と私たちの心を軽くしてくれる彼らにとっての天国を、私たちは作ってあげられるだろうか

 

 

 

長い長い冬を乗り越えたら、はち切れんばかりの9人の笑顔を見れるだろうか

おじさんになってもきっとかっこいいだろうな、そしてきっとずっと変わらない可愛くて優しい笑顔で歌っているんだろうな

彼らと迎える春が、何年後になるのかは分からない、私はなにをやってるかな?

そんな未来がきっと存在していると考える

永遠でありたいと思うのは、野暮ではないよね?*1

そんな願いは、祈りのような確信で、どこか欲でもあるのだと思う。

*1:Mr.children「1999年、夏、沖縄」より