春の日の記憶

「ときめく心も、君へのドキドキも、全部準備できました。」

ジェームズとディズニーとEXOの其々の「ピーター・パン」

 

 

なんだかずっと避けていたのかもしれない。自分でも知らずに。

 

Peter Pan

Peter Pan

 

 

 

大人と子供の間はすごく曖昧で、大人になったつもりでも心のどこかではまだ子供であることを望んでいるし、本当は誰も大人になんかなりたくないのかもしれない。昔はあんなにもなりたかった大人になるのが今は少し怖い。

 

 

ピーターパンという少年は、やはりどこを切り取ってもディズニー映画のあの印象が強い。無鉄砲だけど誰よりも無邪気で好奇心旺盛、みんなの先頭にたつ勇気ある少年。

小さい時、どうしてかディズニーのピーターパンが大好きで家にあったビデオ(テープ!)を何度も何度も見ていた。幼稚園くらいだったと思うけどすごい覚えていて、たぶん今見返してもセリフもちょこちょこ言えると思う。

中学生くらいにその時のことをふと思い出して、原作を買った。ディズニー映画ピーターパンの原作は、ジェームズ・M・バリー作『ピーター・パンとウェンディ』だ。

 

 

ピーター・パンとウェンディ (新潮文庫)
 

 

 

 

原作を読んで、私はディズニーのピーターパンを見れなくなった。いや、見なくなった?とにかく、なんだかすべてが崩れてしまった。知らないほうが幸せだったかもしれない感情に出会ってしまった気がして、とてつもなく悲しくなった。

映画の中で生きるピーターは、大人にならないことを自ら望む強い子供のように見えるけれど、原作を読んだことでそれがどれだけつらく、悲しい道に進むことなのかということに気づいてしまったのだ。彼は誰よりも孤独で、その孤独に気づいていない、気づくことのない少年なのだと。

 

ピーター・パンは永遠に年をとらない。だからその分すべて忘れてしまう。

ディズニーでは描かれなかった小説の最後が、すべてだった。結局大人になる決意をしたウェンディが、母親となってピーターと出会ったとき、もしかしたらこんな再会はないほうがよかったのではないかと思った。自ら大人になったウェンディを見て、ピーターは失望しただろうか?悲しかっただろうか?無常に流れていくだけの人間をどう思ったんだろう。

 

ウェンディにとってのピーター・パンが、『おもちゃ箱の中の小さな埃』になってしまうようなことが、これからの自分に当たり前のようにしみこんでくるのかと思うと、少しだけ歩みを止めたくなる。大人になりたくないと思ってしまう。

子供のままでいられたら幸せなのかな、と思うけれど大人になりたいとも思う。矛盾する感情の中で、日付をまたいだ時計を見て、また変わらずに明日が来て、結局誰も大人になることを止められない。

子供のころ、テレビでピーターが言ったセリフの一言に心が踊ったことが、今でも忘れられないのはどうしてだろう。

 

「あれだよウェンディ!」と叫ぶピーターパンとネバーランドに、行ってたんだよな、間違いなく。それがピーターパンだけでなくてもさ、他にもポケモンのゲームやってた時って自分のことポケモントレーナーだと思ってたし、しゅごキャラ見てた時は自分にもキャラいると思ってたわ…(恥)

 

 

もう何年も、ディズニー映画のピーターパンを見ていないから、これを機に見てみようかな、と思った。最後のシーンでお父さんが思い出したように、大人になっても魔法をかけてもらえるのがディズニー映画のいいところだと思う。

原作はどうしても、終わりのない悲しみのようで切なくて苦しくなってしまうのだけど、この終わり方がいちばんしっくりくるものでもあるんだよね…。私の一番好きな韓ドラが『トッケビ』なのも納得できるというか、『トッケビ』もハッピーエンドに見せかけたサッドエンドだもの…。ウンタクの4度目の人生が終わったあとおじさんはどうなるのさ……。

 

 

eigahitottobi.com

 

 

まあこれも久しぶりにエクソのピーターパンを聞いたからなんですけどね。1月から殺伐とするSNSにつかれてしまってほんのちょっとだけ、気持ちだけエクソと距離を置いていたのだけど、もういいかなと。

もうなるようになるしかないし、何度聞いてもこの曲に私は、やっぱり、ときめくし、どきどきして切なくなるし。これがエクソに対する私のすべてなんだろうな、と答えが出た。Tempoを何万回聞いても飽きないのも、(あの曲が音楽的にもヤバい曲なのも含めて)同じ理由だからなんだろうな。

 

 

スタンダールの『赤と黒』を読んでいるので、それが読み終わったらまたジェームズのピーターパンに会いに行こうかな。きっと映画でも原作でも、ハッピーエンドでもサッドエンドでも、ピーターパンは私たちに魔法をかけてくれるだろうと、まだちょっぴり信じていたいから。

 

 

 

「ああ、昔は飛ぶことができたなんて!」

「どうしてもう飛べないの、お母さん?」

「大人になったからよ。人は大人になると、飛び方を忘れてしまうの」

「どうして飛び方を忘れてしまうの?」

「もう陽気でも無邪気でも情け知らずでもなくなるからよ。飛べるのは、陽気で無邪気で情け知らずな人だけなの」

 

ジェームズ・M・バリー『ピーター・パンとウェンディ』 (新潮文庫)P302より