春の日の記憶

「ときめく心も、君へのドキドキも、全部準備できました。」

【読書】『対岸の彼女』は、私にとっての彼女なのかもしれない。

 

 

 

 

 

男同士の友情モノって、熱いですよね。バディ系とかライバル系とか…

具体的が例をあげるとすると、(見たことはないけど)パクソジュンとカンハヌルの『ミッドナイト・ランナー』とか、放送開始決定した『MIU』とか。たぶん映画やドラマをよく見るひとなら思い浮かぶ作品があると思うんです。

 

でも私、このまだまだ映画もドラマの小説も未開拓の土地ばっかりの中で、女性のバディものとかに出会ったことがほぼなかったんです。

しいて言うなら、吉永小百合天海祐希の『最高の人生の見つけ方』くらいしかポっと出しなくらい(笑)

 

だから今回、ほぼ初めての気持ちでこの作品を読みました。

 

 

 

対岸の彼女角田光代

 

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)

 

 

 

読みながら、「ああ~…」と思いました。私もこうだった!と共感するのではなくて、自分の友達について、じっくり思い出されるような感覚。

 

 

中学校の時、仲良くなった子がいたんです。

 

中学校って色んな小学校の子が集まって、小学校までのカーストとかゴチャゴチャになるじゃないですか。私なんか俗にいう陰キャ(運動ができない系)だったんですけど、中学校でもそんな感じなんだろうな~なんて漠然と考えてたんです。

別にいじめられてたわけじゃないし、運動できる子のいうことは逆らっちゃいけない、みたいな風潮が地味な子たちの中であっただけだったんですけどね。

まあこんなのよくあることじゃないですか。今思うと謎しか残らないけど(笑)

 

 

中学校にあがって、同じクラスにすごく、明るくて目立つ子がいたんです。

私はその子のことを俗にいう陽キャだと判定し、「ああ、この子には逆らっちゃいけない系の子だろうな」なんて心の中でこっそり確認してたんです、入学当初は!

 

でも全然違ったんですよね。むしろ仲良くなりました。

 

その子は勉強ができる子で、意外にも映画とか本とかが好きな子でした。

私も本が好きだし、どうして、どうやってなのか覚えてないけど、なんでかすごい仲良くなったんです。

自分がこんな子と仲良くなるなんて思ってもなかったんです。中学から運動部に入ったとはいえ、自分は根っこからの陰キャだと思ってたので、不思議で。今思うと優越感だったのかもしれません。地味だった私が、こんな風に明るくてかわいいこと友達なんて、想像もしてなかったから。

 

 

その子と仲良くなって世界が広がりました。おしゃれすることが楽しいこと、みんなでバカ騒ぎしながら体育の授業ではしゃぐこと、全部教えてもらって。中学生とかは人格形成の時期なんて言いますけど、今存在する「私」という人格の土台が固まったのが確かにあの時だったと思います。

もし、あのまま小学校のカーストが継続されていたら、私はもっと根暗でネガティブ極めた女になってたと思います(笑)

 

 

その子とはたくさん、話をしました。二年生になって私も彼女も部活でキャプテンになって、相談もしたし、先生も私と彼女がすごく仲がいいのが分かっていたから、修学旅行の班も全部同じ。ニコイチみたいな感覚だったんだと思います。

 

私は彼女がいちばんの友人だと思っていたし、彼女もそうであればいいなと思ってました。

でも、彼女の中の優先順位は、私<部活の仲間 だったんです、いつも。

 

私は彼女の話をいつもしっかり聞いてるつもりでした。

でも私が話していても、彼女は部活の仲間(や、うるさくて面白い他の友達)に話しかけられるとすぐそっちに行っちゃうんです。

 

当時は「私の話なんかつまらないしな」「自己主張できないし」なんて思ったいました。彼女は真剣な話をたくさん聞いてくれた大切な友人だし、部活で色々あって学校に来るのが苦痛だった時も、彼女がいたから行けたと思っていますし、今でも。

 

なんかこう、グダグダ書いてて難しいんですけど、

「彼女は私にとって大切な人だから、私の話を聞いてくれなくても大切にしないといけないんだ」

…みたいな、ことを思ってたんだと思います、たぶん。

 

 

彼女とは高校も一緒でした。クラスは違ったけど、たまに学食一緒に行ったりして、相談ごとあったらお互い話したりもしてました。

高校に入って、「真面目」であることをやめた私は、中学校の時とは違う新しい自分をさらけ出すことができて、すごく充実してました。

私の中で私はつまらなくて、自己主張できない消極的な女だったんですけど、新しい環境に飛び込んだことでそれが変わったんです。

元々家族に見せてなかったおちゃらけた部分を、他人に見せてもいいんだ!と気づいたんですよね。根本的なものが変わったんじゃなくて、皮がむけた感覚、脱皮と同じ感覚だと思います。

私はだんだん自分が好きになっていったし、昔みたいにすごくネガティブに自分のことを考えなくなりました。

 

 

新しい友達と出会う中でも、それでも私は彼女がいちばん大切な友人だと思ってました。彼女はどうだったか知らないけど。

 

でもひとつショックなことがあったんです。

彼女と同じ部活のマネージャーの子とよく一緒に勉強をしてたんですけど、その子と彼女の話になって、そのマネージャーの子が言ったんです。

「○○(私)変わったって言ってたよ。」

 

そうか、昔の私を知ってる、よく知ってる彼女から見ると、私って変わったんだ。私は昔の私よりも、今の私が好きだけど、それは変わったってことなんだ。

私は変わったわけではない、そう思っていたけど、私をよく知っている彼女からはそう見えるのか。

 

段々と、なんていうか、疑心感?みたいなものが生まれていったんです。

彼女は変わらず私の話を聞かないし、彼女にとって私って、どのくらい大切な友人なんだろう?たぶん、私と彼女の中では、お互いの優先順位が違うんだろうな。

 

私の中も感じてたんですよ。

「私の話を聞いてくれる友人」が、どれだけ大切で、大事にしなければならないことか。高校で出会った友人がそうであったように。

 

 

二年でクラスが一緒になって、三年で離れました。

高校でも修学旅行は同じ班だったけど、中学でも高校でも自由行動の遊園地は、彼女は部活の人と一緒でした。それが当たり前で、私はそれに、嫉妬してたのかもしれません。私のこともたまには優先してよ、って。

 

 

すっごいワガママだなあ、と思います(笑)一人に固執することは恐ろしいことで、それは今までで数回味わってきたけど、でも誰かに固執しないと寂しくてだめになりそうになるんです。

こういうのって、たぶん根本的なものなんですよね、結局陽キャと仲良くなって陽キャのジャンルにぶっこまれても、「お前は陰キャだ」と言われて生活していた時の土が変わってないんです。

怖いなあ、呪いみたいで(笑)

 

 

三年で一緒になった友人は、すっごく私の話を聞いてくれる人で、今もそうです。私はこの人とずっと友達でいたいなと一番強く思うし、向こうも同じ気持ちならいいなと願うばかりなんですけど

 

たまにふと気づくんです、「私、この人に彼女と同じことしてないよね?」と。

それでいつも首根っこつかまれて宙ぶらりんになります。

 

でもそういうものですよね、友達って。

話を聞いて、話をして、お互いに優しさをもって接するもの。

だからこうやって、私はまだ気づけてる、彼女とは違う、そうやってまたきっと、優越感に浸ってる。

それが正しいと思うしかないのかな、とまた自分で頷いて。

彼女を生きる上での教訓、踏み台にしていることをたぶん、申し訳なく思ってるからだと思います。

 

 

結局今、彼女は浪人中で、連絡はとっていません。私からはたぶんとらないし、彼女もとらないでしょう。次に連絡が来るのは、もしかしたら一年後くらいかもしれません。

私と彼女は、いつか二人で遊ぶ日が来るんでしょうか。

次遊ぶ時は、対等な立場で、また、「話を聞いて、話をできる」普通の友人に戻れるといいな。

 

 

 

 

まあこんだけ自分語りをしといて、何を言いたいかというと、この『対岸の彼女』に出てくる葵に少し共感したということです。

ナナコと葵の関係は小説だなと思うような少し幻想じみた関係に見えますが、この二人関係をもっと簡単にすれば、きっと誰にでもあてはまるものがあるはずです。

思い浮かびません?昔すっごく大切にしていた友達。

 

私が葵なのかもしれないし、彼女がナナコかもしれない。

私がナナコかもしれないし、彼女が葵かもしれない。

いやもしかしたら、小夜子かもしれない。

 

ぜーんぶ、あてはまるんですよね。状況も年齢もなにもかもしれないけど、確かにこの文章のうえに、「あの頃の私」がいるんです。

対岸の彼女』は、「私が大切にしていた友達」「私が憧れた友達」「私が嫉妬した友達」全部全部、あたり。はずれのない、だけど終わりのないビンゴ。ひとつずつ穴をあけて、でもずっとリーチのまま。どうしてかというと答えがない存在だから。

 

葵はこのまま死ぬまで、薄くなっていく呪いからは逃げられないと思います。脱皮できたのが小夜子であった、その真逆が存在するように。

 

私は今も呪いにかかってるかもしれないし、もう脱皮したかもわからないけど、それも含めて「ああこうだったな」と思える大人になりたいです。

それが私の出す答えであればいいな、と思うし、終わりのないずっとリーチのままのビンゴが、たぶん人生そのものであるんだろうな、と思うから。

 

 

最後にどうしてこの本を買ったのか、という話をすると(笑)

本屋さんに、A4くらいの横紙ビッシリに「この本すんばらしいから読め!!!」と書かれていたからです(笑)

 

え、こんな言うなら買っちゃう…?となる情熱を感じました。店員さんありがとう、すんばらしい本だったよ。